院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


心機一転、自分と向き合う

 
 
 広報委員という立場を濫用して、本会報誌にたびたび登場している私であるが、その掲載ページを見るたびに、細君は「あなたは、ズルい」と言う。冒頭にある顔写真が、若すぎるし、善く写りすぎていると言うのである。善く写りすぎているかどうかはともかくとして、確かに八年前の写真を掲載し続けることに対しては、ズルいというそしりを甘受しなければなるまい。そこで今年からは、顔写真を現在のものに変更する。なんと勇気のある決断であろうか。現実を見つめることは、つらく厳しい。私自身の中の、自分のイメージは十代の頃の紅顔の美少年であり、鏡を見るたびに、この鏡はどこかおかしいという不審を抱き続けて、三十有余年の月日が流れた。年を改めるにあたり、心機一転、ありのままの自分に向き合ってみようと思った次第である。新旧の写真を見比べると、八年の歳月は決して短くはないと実感する。なかなかいい具合に年齢を重ねているではないかと思う反面、渋い魅力を醸し出すには、刻まれた皺や陰影に、まだ中途半端な年齢だという印象を受ける。しかし、ここはひとつ、顔写真変更という不退転の決意に素直に拍手を送ろう。英断の影には内助の功、と言いたいところだが、細君は私よりズルい。いつだったか習い事の昇級試験に提出する書類用に写真を撮ってあげたのだが、その(ありのままの)写り方がお気に召さなかったらしく、私に修正を強要してきた。「えー」と言いつつも心優しい私は、自らの技術を総動員して、画像処理を敢行した。自慢ではないが(ほんとは自慢なのだが)、コンピュータの画像処理にかけてはプロ級である。見る間にお肌すべすべ、皺ひとつ無い別人ができあがった。「そうそう、これが私の本当の姿なのよ」という彼女の言葉を、空しく噛みしめながら、光陰の無情に嘆息した記憶がある。以来彼女はその写真を多用している。今年の目標のひとつとして、私が先鞭をつけた「心機一転、自分と向き合う」を、細君にも見習ってもらうべく諭すつもりであるが、その成否はなお不透明な年の初めである。



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